吉田武義とは…

日頃は関係者皆様に感謝し、御御礼を申し上げます。

私は幼少の頃、親と縁が薄暗く9歳で岐阜県山県市大桑、真言宗、南泉寺へ預けられ、朝4時半に起き毎朝、梵鐘(ぼんしょう)を鳴らし、本堂の掃除、庭の掃除、いわゆる子坊主をしておりました。

昭和33年、株式会社、浅川自動車で修業し、昭和40年吉田自動を設立。
昭和42年、株式会社マルエイ(年商4百億円)と吉田自動車とM&Aで、丸栄自動車を設立、沢田栄治流の経営学を学び「厳しさは繁栄」を実践させられました。

その後、昭和52年 日本技能経営学を学び、昭和53年1月から、技能経営管理師として資格を得て、コンサルタント業務を展開することになりました。

親に縁が薄く皆様方のおかげで、社会人になれましたので、その社会に恩返しをするために、世のため人の為と、政治家の秘書や、皆様方のご相談に乗る事となりました。

相談者の相手側が野村証券や三井物産、全日空その他、民族団体、などのネゴシエーターなども引き受け、また、あのペルー大使館ゲリラ人質事件の際は橋本首相に、日本人400人の人質交換準備をするなど、橋本首相の裏方も致しました。

又、自民党が野党の時、故、労働大臣大野明先生と、新自由クラブや二院クラブを引き込み、自民党の与党奪還の画策などもいたして来ました。
(著書:信じられんやろー、本当の話やで!で確認)

アフガニスタンやカンボジアなど、10回の難民救済へ内田裕也やジョー山中と共に活動し、阪神淡路大震災などでは、日本で一番最初に二千食の乾パンをヘリコプターで神戸へ届けました。(NHKニュースにも取り上げられた)

現在は
●中国吉林省、経済顧問
●パラオアイライ州、名誉州民
●天宙平和連合、平和大使

などを歴任、2013年には中国吉林省コンチュンにて、生コン工場を建設。
未だ76歳にて、世のため人の為と、皆様方に叱咤激励されながらコンサルタント事業に専念し、頑張っております。

危機管理アドバイザー CMA-group:コンサルタント吉田武義


略歴

吉田 武義(よしだ たけよし)
巳年 B型
高野山得度名 宗寛(そうかん)

●北朝鮮よりS21年日本へ引揚する
●群馬・新潟・神戸と疎開する
●浅川自動車工業入社
●S40年 吉田自動車設立する
●(株)マルエイ(年商400億円)自動車部設立する
●第3回 鈴鹿グランプリGP オールホンダ第3位
●コンサルタント吉田設立、発明協会特許(各種受賞)
●日本発明協会(元ソニー会長、井深 大)15年間、会員
●日本発明くふう展 岐阜県知事賞、受賞
●日本発明くふう展 岐阜県紙業協会長、受賞
●台湾朝天宮より馬租神ご分身の拝受する
●S46年中曽根運輸大臣にスピード標示の特許法制化嘆願する
●故大野明朗大臣選対秘書就任する
●S48年無線連盟葵会等、郵政省へ10万名の署名を集める
●岐阜放送ラジオ、J.P.C.CQアワー、パーソナリティ
●パラオ国、アイライ州名誉州民(受賞)
●S53年故コロムビアトップ氏議員秘書へて参議院へ立候補準備する
●国会タイムズ 岐阜総局長拝命
●国民救済センターを設立する
●カンボジア、アフガン、パキスタン、セブ難民救済(タイ国軍より受賞)
●三井物産、全日空、岐阜銀行等、幹事株主調整役となる
●阪神淡路大震災時ヘリにて乾パン贈る。県知事より感謝状受取る
●橋本内閣ペルー大使館人質事件時、400名の人質交換準備する
●エネルギー振興会設立する
●H25 中国杭州テレビ カラオケ大会 副団長(プロデュース)
●中国杭州市より芸術文化友好記念感謝状(受賞)
●中国吉林省コンチュンにて生コン工場設立
●岐阜FM WATCHパーソナリティ(シダックスグランプリー)
●H26 国際芸術院 会長就任
●カンボジア王国 在名古屋名誉領事館 商務顧問 就任


●著書:信じられんやろー、本当の話やで!(オリジナル書房)